1860年以前からブドウ栽培とワイン生産してきたペリッツァーティ家はかつて、50haのブドウ畑を所有していたが、1970年代に相続等の問題でワイナリーを売却してしまう。現当主の父であるアルトゥーロは、売却後も変わらずペリッツァーティの名前でリリースされる、質より量や効率を重視したワインを目の当たりにし、失われゆくヴァルテッリーナのワインの伝統を憂い、そしてそのかつての名声の復権を願い、1984年にAR.PE.PE.(自身の名前であるArturoに、父方と母方の名字、Pelizzati、Peregoの略)を創立、現在はアルトゥーロの子であるイザベッラとエマヌエーレによって、11haの畑から4-5万本を生産。畑はサッセッラ地区とグルメッロ地区の南向きの急斜面にあり、山の形に沿った小さな段々畑となっていて、ネッビオーロ(キアヴェンナスカ)のみを栽培。かつてのヴァルテッリーナがそうであったように、温度管理をせずに20-25日間にも及ぶ長いアルコール醗酵を行い、オーク、栗やアカシア製の大樽での長期熟成、そして瓶内でも数年寝かせた後にリリースされる彼らのワインは、“ヴァルテッリーナの良心”と言っても過言ではない。ワイナリーはグルメッロにある彼らの畑、ロッカ デ ピーロの麓の岩盤を掘って作った。(以上輸入元資料より)
リアルワインガイド2009年夏号(No.26)『サノヨーコのイタリア〜〜〜ンな店長日記Vol.5』より抜粋
ここまで真摯に伝統を守り抜いたネッビオーロは、ピエモンテには存在しない。
店長サノヨーコ、2009年4月にここを訪問し多くのことを考えさせられました。思わず雑誌のコラムで取り上げてしまいました。一部ですが、アール・ペ・ペについて触れた部分だけ抜粋しますので、参考にしていただければ、と思います。
(前略)そんな話をしながら、アンジョリーノに一本のワインを味見してもらった。O氏とともに今回はじめて訪問したワイナリーで、ロンバルディア州のヴァルテッリーナ地方で作られるネッビオーロ種のワインだ。「すごく好きなタイプのネッビオーロ。伝統的スタイルだね。」とアンジョリーノ。ラベルを見てそれが1997年であること、さらに蔵出し価格を聞いて恐ろしく良心的と驚いている。このワイナリーではネッビオーロという長期熟成型の品種の特徴を最大限に引き出すため大樽のみを使用し、悪いヴィンテージに例外的に作られたというロッソ以外は、最低でも5年以上熟成させてからリリースしている。リゼルヴァクラスだと1997年と1999年が現行ヴィンテージだ。アンジョリーノが感動してくれたそのワインは、Ar.Pe.PeのTerrazze Retiche di SondrioというIGTだった。
ちょっと意地悪だったかもしれないけれど、ワインを飲んでもらった上で“有機栽培ではない”ことを説明した。ワイナリーに到着してすぐに案内された畑で、5代目オーナーの弟であり栽培責任者であるエマヌエルが最初にわたしたちに教えてくれたのは「残念ながら、強いものではないとはいえボルドー液以外の農薬も使用している」ということだった。やむを得ない選択だと。ヴァルテッリーナという地方は、リグーリアのチンクエテッレで見られるような狭く急斜面の段々畑が伝統的で、農薬散布も下草刈りも人間の手作業のみで行われる。同じヘクタール数を所有するワイナリーと比較すると倍以上の人件費をかけているが、それでも追いつかないのだそうだ。有機の認証を受けるためには今より効果の薄い農薬しか使えなくなり、さらに頻繁な散布を余儀なくされる。
一本100ユーロ以上にしないと見合わない。僕らもヴィン・ナトゥールやヴィーニ・ヴェーリに興味があるし、同じ哲学でワインを造っていると自負しているけれど、現状は厳しい」と話していた。首が痛くなるほど見上げなければならない急斜面の畑を眺めていると、隣接する畑は剪定さえもされていない。大手ワイナリーの畑だが、あまりにコストが見合わず平地に栽培を切り替えたらしい。古い畑なので購入したいのは山々だが現状ではとても無理だと残念そうに話す。セメントを使用しないで積まれるドライ・ウォール式の石壁は、毎年莫大な維持費がかかる。それもすべてワインの値段に跳ね返ってしまうのだ。けれども彼らにとって、この人間の創造物である石造りの段々畑はヴァルテッリーナの伝統そのものであり、それを守り抜くことこそ自然をリスペクトするということなのである。
彼らのこだわりは、ワインの味に直接は反映されないかもしれない。石ころなんかにお金をかけないで、どんなにコストがかかっても完全有機で栽培することに専念するべきなのかもしれない。それでもわたしは、彼らの意固地で、時代遅れともいえるその選択やプライドに対して喜んでお金を支払いたいと思っている。そしてもし、現代の消費主義やグローバリゼーションに疑問符をなげかける、という意味で自然派のグループが存在するというのであれば、彼らのようなワイナリーを世の中に紹介することこそ、意義のあることのように思えてならない。