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ジョヴァンニ・カノーニカ
Giovanni Canonica ジョヴァンニ・カノーニカ
伝統的であるというだけにとどまらない。バローロの可能性を誰よりも深く追求するジャンニ・カノニカ。
ジャンニ(ジョヴァンニは彼の父の名)の1.7ヘクタールしかない小さな畑は、平均樹齢12年。とりたてて古い畑というのではない。しかしその畑、パイヤガッロから生み出されるバローロをはじめて飲んだときには“モンフォルティーノ”くらいしか比較にあたいするワインが思いつかなかった。ボトルの底に大量の澱とともに残された、グラス4分の1杯にも満たない雫を飲ませてもらったときの話だ。一緒にいたインポーターと舐めるようにして飲み干した。
手描きの文字をコピーしただけの簡素なラベルにあったCANONICAという名前を頭に刻みこんだ、衝撃の出会いだった。
「見た目にも完璧な画一化された商品を求める今日の消費者に、不透明で沈殿物たっぷりのワインをわかってもらうなんて無理な話だ。」と話すジャンニ。「マーケットが作り上げた虚像をグラスで味わっている。本当なら、造り手の夢や理想がつまっているはずのグラス。そのグラスの陰にかくれた落胆や苦悩、労働や汗の香りを、ほんの一瞬でも探してみることができないなんて悲しいことだ。」アウトロー、クレイジー扱いされているが実際に会うととても物静かで優しそうだ。けれど芯は強い。「人生の選択」----ジャンニが話していたことがある。どういうワインをつくるか、ということをプロフェッショナルな選択肢としてとらえているのではない。このようなワインを生み出すということに付随する全ての要素を、そこから生じる生活苦、また世間からの風当たりにいたるまでまるごと受け入れること。それが彼の、また彼の家族の選んだ生き方なのだ。
生産本数2500本という2002年ヴィンテージも完売。「誰もが手軽に楽しめる値段で」とジャンニはいうが、実際にはあまりに生産本数が少ないためごく一部の顧客にしかいきわたっていない。2000年にいたってはたったの650本。2001年は納得がいかず一本もボトリングせずに終わった。ごく少量ボトリングした1996,1997年はワイン造りを学ぶのに費やしたと話し、せっかくバローロとしてリリースすることもできた1998年は愛する娘さんの生まれ年という理由で、バローロの古い伝統にならい彼女のためにすべてリザーヴ、商品化しなかった。2005年からは5〜6000本くらいを目指しているというから日本への入荷数増加を期待したい。ヨスコ・グラヴナーや、ジャンフランコ・ソルデーラでさえ「あれこそが本物のバローロ」と認める、知る人ぞ知る偉大な造り手です。
最良のバローロの造り手
ジャンニ カノーニカが1983年より始めたワイナリー。2種類のバローロ(パイアガッロ、グリンツァーネ カヴール)とランゲ ネッビオーロ、バルベーラ ダルバを生産するが、彼自身が納得しない年のワインは自らボトリングをせず、桶売りしてしまう。畑ではボルドー液以外の一切の薬剤を使用せず、ワイナリーでもボトリング時にごく少量使用されるニ酸化硫黄以外、何も添加される事がない。伝統的なバローロのスタイルである長期間のマセレーションを実践、大樽での熟成の後、ノンフィルターでボトリングを行う。ジャコモ コンテルノのジョヴァンニ コンテルノ、ジュゼッペ リナルディなど、偉大なバローロ生産者達とも親交が深く、あのグラヴナーをして、“最良のバローロの造り手”と言わしめた人物。
2002年ヴィンテージ以降は全てを自家ボトリング。醗酵はグラスファイバー製の醗酵槽で野生酵母のみで(SO2添加はなしで)温度管理をせずに行い、マセレーションの期間は1ヶ月に及ぶことも。圧搾後、乳酸醗酵が終了するまでセメントのタンクで保存、その後、大樽へと移され、2-3年の熟成の後、若干量の酸化防止剤を添加して、ノンフィルターでボトリング。