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ル・カソ・デ・マイヨール (ジョルディ・ペレズ)
Le Casot des Mailloles ル・カソ・デ・マイヨール
≪自然派のレジェンド アラン・カステックス≫
ワイン生産者にル・カゾ・デ・マイヨール=アラン・カステックスの名を知らないものはいないのではないかというくらい、ここバニュルス、そしてフランス全土では彼の存在は偉大です。事実、フランスの生産者に尊敬する人物はだれかと問うと、ボジョレーのマルセル・ラピエールや、ジュラのピエール・オヴェルノワのように必ずといっていいほど、このドメーヌと彼の名前が挙がってきます。そしてバニュルスで同時にぶどう栽培ワイン造りをする、ブルノ・デュシェンやYOYOなどのボス的存在でもあります。
≪ジョルディ・ペレズとの出会い≫
彼は市役所で働いていた元公務員で、庁舎での退屈な事務仕事が嫌で25 歳の時に退職し、ボルドー大学で醸造学を学ぶ事を決意しました。その後約2 年間、ボルドー地区サンジュリアンのシャトーベイシュベルにて働いたのち、モンペリエの大学にてさらに農業を学びました。さらなる経験の為、ラングドックのカザル・ヴィエル、以後フィトーや、アルマニャック、ガスコーニュと渡り歩きながら独立の道を探していた矢先、知人の紹介にてバニュルスの偉人、アラン・カスティックスと出会うのでした。アランも自身もバニュルスの急斜面の畑を耕す事に困難を感じていたタイミングでの運命のような出会い。ジョルディの人柄と情熱に触れるうちに、2015 年に自身のドメーヌを引き渡す事を決意したのです。計4,5 ヘクタールの畑を彼に譲渡し、ジョルディ・ペレズによる新生ル・カゾ・デ・マイヨールがここにスタートしました。
栽培されている葡萄は、ルーサンヌ、ヴェルメンティーノ、ヴィオニエ、グルナッシュ・ブラン、グルナッシュ・グリ、グルナッシュ・ルージュ。シスト土壌は保湿性が高く、熱く乾燥しても土壌内には十分の水分が保たれているので、日差しの非常に強いバルニュスでも葡萄が健全な状態に保たれている。見るからに過酷な労働であろう急斜面の畑を見ながら、ジョルディ・ペレズは自身の葡萄栽培、ワインの哲学を熱く語ります。
≪世界遺産の畑≫
カゾ・デ・マイヨールのワインが生まれる畑はシストと呼ばれるスレート状の石が重なりあった土壌で構成されています。非常に野性的な自然そのままの環境で、野性のフヌイユ、ローズマリー、タイム、ラベンダーなど様々なハーブやオリーブ、低木で囲まれており、急斜面を下ったその先には地中海が広がっています。
≪引き継がれたカーヴ≫
醸造所には、木樽、ステンレス、コンクリートの醗酵槽が3台あり、マセラシオンは7日〜10日間、長いもので1 か月行います。コンクリートタンクは基本全房醗酵(マセラシオンカルボニック)、木樽は除梗した葡萄を醗酵させる為に使用。醗酵後は古樽などで熟成。ロゼ、コマックス・エティリックス、ブラン・デュ・カゾ、エルニーニョ、スーラ、の順で瓶詰めされていきます。2016年現在は6つのキュベを醸造していますが、2017年にはさらに4キュベ増えて全部で10キュベになる予定。ジョルディ自身これ迄修業してきたシャトーやドメーヌの下では、酸化防止剤を添加せずにワインを醸造した事がなく、彼自身も出来上がりの予想を付ける事が難しかったようですが、アランに助言をもらいながら自身初の酸化防止剤無添加にてワインを醸造する事に成功いたしました。今までアラン・カステックスが積み重ねてきた経験と、若手の感覚の融合が2015年のル・カゾ・デ・マイヨールとして完成し日本に輸入されます。アランが造り上げてきたバニュルス、そしてル・カゾ・デ・マイヨールのテロワールをジョルディ・ペレズが新たな方向性に導く。これからの進化が楽しみなドメーヌがまた一つフランスに誕生しました。