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レ・ボット・ルージュ
Les Bottes Rouges レ・ボット・ルージュ
いまや産地としても世界中の注目を集める土地、ジュラ。この土地の自然環境が生み出す複雑で個性あるワインがその人気の秘密ですが、そのテロワールに惹かれて多くの才能ある造り手たちが集っているという点も見逃せません。ピエール オヴェルノワとその後継者となったエマニュエル ウイヨンなどの偉大な先達たちが切り拓いた世界に、ルノー・ブリュイエール、ジャン=フランソワ ガヌヴァ、鏡 健二郎(ドメーヌ・デ・ミロワール)といったスター生産者たちがさらなる発展をもたらしました。
そしてもう1人、その実直な性格と丁寧な仕事の積み重ねでジュラの魅力をさらなる高みに引き上げているのが、ジャン=バティスト・メニゴスのドメーヌ・レ・ボッテ・ルージュです。
エマニュエル ウイヨンのワインが「歴史」、ルノー・ブリュイエールのワインが「純朴」、ジャン=フランソワ・ガヌヴァのワインが「正統性」、ドメーヌ デ・ミロワールのワインが「対話」、を感じさせるとしたら、レ・ボッテ・ルージュのワインは「明瞭」であることが魅力です。
フランシュ=コンテ地方に生まれたジャン=バティスト メニゴスは、教師という(フランスでも特に)安定した職に就いていましたが、15年ほど前にアルボワに赴任したのをきっかけに自然派ワインに出会います。
しばらくは自家用で、趣味として少量のワインを造っていたのですが、この地域の「陽気な挑戦者」であるステファン ティソの後押しもあり、2012年に完全なるワインの造り手へと転身します。そして2013年には、古い民家を改築した環境の整った醸造所に拠点を移し、驚くべきスピードでワインの品質を高めて行きます。
彼のセラーを訪問した際の試飲でも、さながら学校の授業を受けているような語り口で、それぞれの畑の個性、品種の特徴、醸造や熟成に関しての考え方、はたまた人間の力の及ばない自然と対峙する哲学に至るまでをよどみなく説明してくれます。このブレのない自然観やワイン観が、彼のワインの「明瞭」な味わいを生み出しているのは想像に難くないですが、彼自身にそれを尋ねると、必ず、地域の偉大な先達や仲間のサポートがあったからだと答えます。
近年は、高まる人気とは裏腹に、異常な天候による収穫量の減少に苦しんでいるジュラ地方。ジャン=バティストにとっても大きな苦難となっているこの状況をどう乗り越えているのかを尋ねると、「僕たちは幸運だよ。ジュラという産地には、志を同じくした仲間たちが沢山いて、今や自然派ワインの一大産地となっている。だからこそ多くの仲間が助け合い、知恵を出し合い、手を取り合ってこの苦難に対処できている。他の産地にはない、本当に幸運なことさ。」と語ってくれました。
リスクを取ってスタートしたワイン造りで、その直後から少ない収穫量に苦しんでいるはずの彼からは、本来であればあってしかるべきの悲壮感は微塵も感じさせず、ワイン造りが楽しくて仕方ないといったストレートな感情だけが感じられます。彼のこの素直さと、迷いを払う意志の強さが、多くの仲間からワイン造りのエッセンスを急速に吸収し、消化し、結果としてブレない「明瞭」なワインを生み出しているのではないでしょうか。
「様々なテロワールで育ったブドウを品種ごとに詰めるピエール オヴェルノワのスタイルも好きだけど、僕は畑ごと、テロワールごとの特徴をボトルに詰めたいと考えているんだ。」
粘土質土壌、石灰質土壌、マルヌ土壌など様々な畑のキャラクタを素直に表現することを楽しみながら、いきいきとワイン造りを続けるジャン=バティスト メニゴス。天職に巡りあった人の放つ幸福感に、彼と一緒にグラスを傾けるだけで、そのおすそ分けをもらえるような気がしました。そして、この幸福感は、彼のワインを飲んで頂ける皆様にもお届けできるのではと思っています。
最後に、この2016年8月に彼のもとを訪れた際に亜硫酸(酸化防止剤)の使用について興味深い話が聞けました。レ・ボッテ・ルージュでは、白ワインに関しては圧搾の際と濾過の後に少量の亜硫酸を用い、赤ワインに関してはワインの状況に応じて判断するとのこと。ジャン=バティスト自身が、いわゆる豆っぽい香りが好みでないため、瓶詰め前のワインをグラスに入れてとある期間放置し、ワインの状態を確かめる実験なども行なって判断しているといいます。
「過去、僕が一番好きだったワインはゼロゼロ(=亜硫酸完全無添加)だったし、一番嫌いなワインもゼロゼロだった。」
まずは難しい事を考えずに美味しいワインを飲んでもらいたい、そう考える彼は、現時点では亜硫酸無添加のワイン造りに固執しません。もっとも、自身の成長に妥協しない彼だからこそ、将来どういうワイン造りに進化させていくのかは、非常に楽しみです。(輸入元案内より)
「忍耐こそがジュラの地で素晴らしいワインを造る」
さまざまなワインの造り手たちと会って思うのは、そのタイプは2つに分かれるということ。2つというのは"Artisan"タイプと"Artist"タイプのこと。つまり職人タイプと芸術家タイプ。天才肌で感覚と直感を重視する芸術家タイプに対して、情熱を内に秘めてコツコツと仕事を積み上げていくのが職人タイプの特徴ですが、ドメーヌ・レ・ボッテ・ルージュのジャン=バティスト・メニゴスもそんな静かに情熱を燃やす職人タイプです。
もともと教師という職に就いていたジャン=バティスト、15年ほど前にアルボワに赴任し、もともとワインが好きだったこともあって古いプレス機と10aほどの小さな畑を購入して自家用のワインを作っていました。そんな中、自然なスタイルのワインに出会い、自身も自然な栽培・醸造でワイン造りに取り組むようになります。そして、何年かワイン造りの経験を積むことで、専業としてのワイン生産者の道を志すようになりました。しかしこれは、周囲の人間からは考えられないほどリスクの大きい転身でした。フランスでの教師という職は、非常に安定した職業として知られ、この職を投げ打って自然相手の不安定なワイン造りに転身するというのは、多くの人にとってはありえない選択でした。しかし、ジャン=バティストは入念な準備と確信を持って、2012年からアルボワの地でワイン生産者となります。
彼をサポートしたのは、30haを超える畑を自らの代でビオロジックに転換した陽気な挑戦者ステファン ティソ。ワイン生産者への転向を考えていたジャン=バティストを勇気づけ、新たな挑戦への背中を押してくれました。また、ワイン造りの実践的な助言だけでなく、熟成用のセラーなど醸造設備を一部借受けるなど実質的なサポートも受けました。その他にもこの地の偉大な先達であるピエール オヴェルノワやエマニュエル ウイヨンからは、「忍耐こそが素晴らしいワインを造る」と教えられたと言います。ジュラという土地自体は、決してワイン造りが容易な場所ではなく、また近年の天候もそれをさらに難しいものにしています。しかし、その困難を耐え抜き、実直にワイン造りを続けていけば素晴らしいワインを生み出すことができる。その教えを忠実に守り、日々の仕事に向かうジャン=バティストの姿は、まさに職人だと言えます。
現在は4haほどの畑をフェルマージュ(賃貸)契約で栽培し、シャルドネ、サヴァニャン、プルサール、ピノノワールなどの品種を栽培しています。2012年はスタートの年ということもあり、タンクとプレス機のみ新たに手に入れ、それ以外の設備はレンタル。醸造所も熟成庫も別々の場所で借りており、作業が煩雑となっていました。2013年からは、古い民家を購入、醸造所に改築していて、このセラーが完成すれば、より理想に近い形でワイン造り取り組めるようになると言います。
ワイン生産者に転身した現在も週2回ほど身体に障害を抱える子供たち向けの教師を務めるなど、温和で心優しいジャン=バティスト。多くの試行錯誤を経てジャン=バティスト本人の繊細で心優しい人柄がピュアに表現されたドメーヌ レ・ボッテ・ルージュのワインが生まれたのです。
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