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ムーリラ
Moorilla ムーリラ
設立1962年 CoalRiver Valley(コールリバーヴァレー地区)
オーナー/David Walshデイビット・ウォルッシュ
醸造責任者/ヴィティカルチャリスト
栽培責任者/コーナー・ヴァンデル・リースト
「ムーリラ」という言葉は、数あるアボリジニの方言で「水辺の岩」を意味します。何千年もの間ムーリラの地にはタスマニアのアボリジニであるムーヘニエンナー族の居住地でした。
1948年イタリア移民で繊維商人のクラウディオ・アルコルソが購入した19ヘクタールの土地が後のムーリラとなります。クラウディオは、オーストラリアを代表するテキスタイル・ブランド「シェリダン」を立ち上げ、オペラ・オーストラリア、オーストラリア・バレエ団、オーストラリア・カウンシルの設立に関わるなど、芸術面でも影響力のあるパトロンとなり、タスマニアに近代的なワイン産業を興します。
1958年クラウディオは、ムーリーラに初めてブドウの木を植えます。デイビッド・ウィンが所有する南オーストラリアのブドウ畑から送られてきたライン・リースリングの挿し木を90本植えました。1962年には最初の収穫があり人々は手摘みで収穫した葡萄を足で踏み潰して野生酵母による発酵をさせた記録が残っています。
1995年タスマニアの天才ギャンブラー、デビッド・ウォルシュは、管財人による管理下に置かれていたたムーリラを購入し再建します。2007年にはデイビッドが、カナダの"野生児"コナー・ヴァン・デル・リースト(ジェームズ・ハリデイから紹介されたことに感謝)を説得して、ムーリラの舵取りを任せることとなります。
天才ギャンブラー、デビッド・ウォルッシュ
謎の設立者、デイヴィッド・ウォルシュは、大富豪にして数学の天才。
自閉症だった彼は特異な記憶力を持ち、まるで映画『レインマン』のようにポーカーでも負け知らずだった。数学を勉強する学生だった彼は一種の応用数学を利用して無茶さえしなければカジノで儲けることは可能だと気づいたのです。
資金提供をしてくれるパートナーを見つけ、多額の現金を元手にするアルゴリズムを書き出してから、コンピューターを使った競馬予測で成果を確認し、カジノで莫大な財産を築きます。それと共に美術品の収集にのめり込み、膨大なコレクションを抱えてしまいます。そんな時にモナの前身である美術館とワイナリーの管財物件を購入し、その風変わりな趣味を世の中に公開、みんなに鑑賞してもらうおうとして美術館を建て替えました。ウォルシュはギャンブルで大儲けして一躍有名人、大富豪になりますが、ビジネスや政治の世界とのしがらみは全くなく、忖度はいっさい必要ない人生を送ります。彼のアイデアを詰め込んだ美術館がMONAは2011年にオープンします。
カナダ出身ワインメーカーであるコナー・ヴァン・デル・リーストは、オンタリオ州のナイアガラ半島、フランスのラングドックやシャンパーニュ、そしてオーストラリアの主要なワイン産地など世界各地で新旧のワインづくりを経験してきたワイン界の「野生児」と言われています。(ジェームズ・ハリデイ氏に紹介されたことに感謝とデイビット・ウォルッシュは口にします)
ムーリラを購入して数年後、デビッド・ウォルシュ氏はワイナリーを一新したいと考えます。ブドウ畑を復活させるために、そこでウォルッシュはコナーを南半球に呼び寄せムーリラでのワイン造りにおける自由な裁量権を与えます。素晴らしいワインを造ればいい」とだけデビッドは言いい、コナーはその言葉を実現させます。
コナーのワイン造りは新世界の果実味と旧世界の複雑さを合せ持つワインに加え、ムーリラのテロワールを表現する造りに仕上げられています。この様子は、ダーヴェント川に沿った氷のように冷たい川風、古代の土壌、果熟期間の長い果実などブドウ畑の特異な場所の感覚を表現するワインメーカーの手によって明確に表現され、液体の形となります。
ムーリラを飲めばブドウ畑も飲める。