右も左も判らないまま2002年に始めたワイナリー。時が経つのは早いものであっという間に16年目に突入しました。その立ち上げ当時から色んな事が変わりました。
まずは農法についてです。2002 〜 2007年までの農法はビオディナミを実践しておりました。その頃は常にフランス人の正社員がおり、カレンダー通りに行える環境だったからです。2008年からは栽培責任者というポジションを私が自ら行い、Guyという季節労働者と共に畑を守り、醸造は以前と同じく私が責任者で行いました。それに伴い100%ビオディナミ農法が維持できないので、無農薬だけになりました。そして2014年までその状況が続きます。2015年からまたビオディナミの農法に戻しました。それはミシェル・オジェ氏が2014年を最後に彼のワイン造りを引退し、2015年から正式にボワ・ルカの栽培担当者に就任したからです。ビオディナミの私の師が、2015年から畑の管理をして下さるという素晴らしい環境が整い、私は畑の仕事の重要な部分を彼にお願いし、醸造は私が行うと言う理想的な形となりました。
畑の状況について。当初私はクロ・ロッシュ・ブランから8haの畑を買いました。2haのソーヴィニヨンブラン(1947年植樹)、1haのカベルネフラン(1975 年植樹)、3haのガメイ(1990年植樹)、合計6haの畑に加え2haの空き地です。畑購入後、その他2haの空き地には以下のように植樹しました。最初2006年にコーを1ha植えましたが、それはピノ・ノワールの苗木が間に合わず、植える予定を変更せざるを得なかったからです。翌年2007年残り1ha全ての土地に、ピノ・ノワールを植えました。しかしその年は大変雨が多く雑草から子供達を守りれず、念願のピノ・ノワールが全て駄目になりました。その辛い経験が私の考えを大きく変える事となりました。なので2008年から私が自ら栽培責任者になったのです。
たった1人で畑を守っておりましたから、なかなか次の植樹の準備が出来ませんでしたが、やっと2010年、ダメになってしまったピノ・ノワールの畑1haのうち0.5haの土地の2/3にピノ・ノワール、残り1/3にシャルドネを植えました。そして5年後の2015年にまだ手を付けられずにいた残りの0.5haの土地2/3にピノノワール、1/3にシャルドネを植えました。ですので、今現在畑に空きはありま せん。 2015年からミシェルがスタッフとして入ってくれたので、非常に畑の管理が楽になったおかげです。その間2010年に3haの畑(1haのカベルネフランと2haのガメイ)を、ボワルカの隣に畑をもつTHIERRYというビオワイン造りに新たに挑戦したい生産者に売りました。なのでカベルネフランの最後のリリースは2009年のヴィンテージとなります。そして2012年に2haのソーヴィニヨンブランと残りのガメイ1ha合計3haを2007年までボワ・ルカのスタッフだったノエラ・モランタンに売りました。ソーヴィニヨンブランとガメイの最後のリリースは2011年、2012年からは私が自ら植樹した2haの畑だけになりました。植樹から100%私の方法で畑を管理する事は私の夢の1つでした。
2012年に畑を売る事をその当時のコスモジュンのスタッフに言ったら、皆、悲しみました。しかし私の意思は変わりませんでした。何故なら2011年3月11日に 東北・北関東の大震災があり、私の人生の価値観を大きく変える事となったからであります。私だけでなく日本人皆が大きく影響されたのではないでしょうか?私はそれからフランスから日本へと気持ちが移り、チャリティー活動を行いました。そして2012年に全て整理して2013年、全く違う分野の世界に挑戦しました。今もそれは続いております。
もう1つ畑を販売を決意した理由は2009年からボジョレーでヌーヴォーを作らさせて頂いているのでガメイのワイン造りが場所を変えて続けられるからです。そして2012年からはソーヴィニヨンブランの王様サンセールの地で醸造する事が決定したからです。サンセールで右に出る者がいないとされるセバスチャン・リフォーが守っているソーヴィニヨンブランでワインを造れるのです。 何と素晴らしいチャンスでしょう。ワイン造りは畑に多大な時間をかけます。新しい何かを始めるには、時間配分を変えなくてはなりません。2011年までは沢山畑で過ごしましたから、2012年は畑の管理を減らし他の事にエネルギーを注ぐというインフラ整備をしたのです。
ヴィンテージにも恵まれ、2008年・2009年と自分で納得のいくワインが醸造でき、私のワイン人生の中で学び得た方法が証明されました。そして2010年はそれをもっとマニアックに進める為、ボルドー液散布を辞めました。さすがにその年はブドウが実をつけず、もっと南の地域でないとこのマニアックな方法は無理だと諭されました。そして2011年、私の最初に買った畑の最後のヴィンテージの醸造を終え、もう未練がないと自分に言い聞かせました。コスモジュンのスタッフやお客様が悲しみましたが、一番辛かったのは私です。本音は売りたくなかったです。でも100%畑を守れなければ、畑を守る資格はありません。私は己の責任を全うできる2haの畑だけ守る道を選択をしました。
色んな噂が流れているようです。私がワイン造りを辞めたとか云々、、、。しかし面白いもので私がFBを始め、毎日の出来事をupするようになってから、その噂は聞こえなくなりました。私は人の噂は参考として聞きますが、根本的に直接自分が確認した事しか信じません。
2012〜2014年まで収量が少なかったので、私のブドウをレ・ヴァン・コンテに売りました。この期間のオリヴィエのワインには私の畑のブドウが入っております。2015年ヴィンテージからまた、ボワ・ルカのワインが発売再開です。2015年は実はちょっとした問題が起こり、まだフランスで寝かせております。なので2016年のコーからお届けしますが、是非沢山の方に召し上がって頂きたいです。ジュリアン・ピノーと同じく数年前にワイン造りを開始したLaurentに、この2016年から醸造所を貸した関係上、ラベル表記がどうしても法的 に少し変わりますが、もちろん今回リリースする2016年ヴィンテージも私が醸造したワインです。2017年は残念ながら2016年の半分の量になりました。春先に霜で半分やられてしまったからです。2017年はご存知どこの地域も大変でした。うちも例外ではありません。それでも我々生産者はワイン造りを続けて良く所存です。(2017.10 Loireにて、新井順子)