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ジャン・ジャック・モレル
Jean-Jacques Morel ジャン=ジャック・モレル
ピュリニーモンラッシェとサシャーニュモンラッシェに挟まれたガメイ村の手前に彼のワイナリーがある。赤のサントーバン、白のピュリニーモンラッシェ共に斜面の南側に位置する畑は日当たりが良く、また、なだらかな丘が大陸性の強風を防ぐ役割を果たしているが、その分風の流れが少ないため若干湿気が高い。赤用品種に適した小石が多くて鉄分を含む土壌、白用の品種に適した泥灰岩質の土壌というようにその性質の変化が富んでいるために、偉大な白と赤が競い合うように共存している。
元登校拒否者などの社会復帰を教育する教師であったジャン・ジャック・モレルは、退職後の1992年、自分の趣味であったワインと菜園に人生を注ぐべく第二のスタートを切った。マコンの醸造学校に通いながら、ドメーヌ・ ルー・ペール・エ・フィスで3年間、卒業後ピュイィ・フュイッセのシャトー・デ・ロンテで4年間働き、1999年、サントーバンとピュリニーモンラッシェに自社畑を買う。当時、醸造所建設の資金がなかった彼は、ブドウを ネゴシアンであるオリヴィエ・ルフレーヴとピエール・イヴ・コラン・モレに売って生計を立てる。毎年素晴らしいブドウを作ると両ネゴシアンから贔屓にされていたことに自信を持った彼は、ついに2004年、銀行からの借金 で設立した彼の醸造所でワインを仕込む決意を決める。その際、取引きのあったネゴシアンのひとつオリヴィエ・ルフレーヴへのブドウ提供を断ったため現在もわだかまりがあるとのこと。将来的にはピエール・イヴ・コラン・モレへの提供を断ち100%ジャン・ジャック・モレルを目指す。
現在はオーナーであるジャン・ジャック・モレルが1人で2.5haの畑を管理している。(季節労働者数人が時々手伝いに入る)彼の所有する品種は、赤はピノノワール、白は、シャルドネで樹齢平均は赤が30年、白が50〜60年である。認証はないが、畑はビオロジックの農法こだわり、除草剤、殺虫剤を一切撒かない。ボルドー液も最小限に抑え、ミルデュー、オイディオム対策には主に塩水を使う。昔ながらの方法を忠実に再現したいと意欲を燃やすジ ャン・ジャックは、醸造も自然派ワイナリー以上に自然!?な方法で取り組んでいる。
もしブルゴーニュを訪れる機会があれば、ぜひジャン・ジャック・モレルに会っていただきたい。ブルゴーニュの作り手でこんなに素直で隠し事のない人とお会いする機会は滅多にないと思うくらいイイ人だ!人柄もワインの 味に反映されるのか、彼のワインは素朴で味わい深く、しかも美味しい。
1992年に教師の仕事を辞めて以降、彼は趣味の菜園の延⻑でワイン、というよりもブドウ作りに情熱を傾け、転々とスタージュをくり返しながらブドウ栽培のレベルを上げていったジャン・ジャック・モレル。彼が1999年に畑を買って独立してからも、ネゴシアンに売る彼のブドウは当初から評判がよかったそうだ。ピエール・イヴ・コラン・モレからは「他のブドウの群を抜いて素晴らしい!」と毎年、他のブドウ栽培者よりも格別高い値段で取引きさせてもらっているそうだ。だが彼は言う「もしファイナンス的に余裕があるのであれば、今すぐにでもブドウのネゴシアン売りを完全にやめて、100% 自分のワインとして仕込みたい」と。その思いの一部は2004年、醸造所を設立し、ネゴシアン、オリヴィエ・ルフレーヴへのブドウ供給を断ち、そのブドウを使って初めてワインを仕込むことによって実現する。「今でもオリヴィエ・ルフレーヴは、私が供給を絶ったことに不満を持っている。もちろん、彼が私のブドウを絶賛し、贔屓にしてくれていたことに関しては感謝しているが、でも、手塩にかけて育てたブドウが最終的にネゴシアンの手に渡ると、他のブドウと一緒にされてしまうので、そこに納得が行かなかった」と。彼のブドウに対する並々ならぬ意気込みが伝わる。
ジャン・ジャックは栽培における重要なポイントを「観察すること」と解している。2.5haの畑を毎日、列の隅々まで入ってブドウの樹の状態を観察している。2.5haくらいの規模になると一人でも十分に見て回れるし、病気の早期発見も容易にできるそうだ。「病気は早期発見ができれば別に怖いものではないし、適時にボルドー液を散布できれば、無駄に多く散布することもなくなる」と彼は観察のメリットを述べる。もう一つ、彼は畑に生息する植物をこまめに観察し、新しいものが発見されるとすぐに植物辞典と照らし合わせ、その植物がなぜ現れたのか?どのような影響があるのか?等を調べ、植物から現在の畑の健康状態を知るという変わった試みを行っている。「たとえば、1999年に私がサントーバンの畑を買った時は、その畑はビオではなく農薬にまみれだった。その畑を当時は隅々まで観察して、どのような植物が多く発生するのか調べてみた。すると、畑はモレルノワールという痩せた土地や汚染された土地に多く発生する植物が多いことに気づいた。その植物のシグナルを読み、少しずつ堆肥を施し耕す行為を繰り返すと、2年後はモレルノワールが少なくなっていることに気づいた。私は畑が徐々に健全な方向に向かっていることを信じている」このように彼は、観察という独自のアプローチからブドウの品質向上を図る。
醸造面においても、シャプタリザシオンや酸化防止剤の添加等を推奨するエノローグに興味がなかったことが幸いしてか、彼のアプローチは、バイオテクノロジーとは正反対に、果汁に何も手を加えない、負担をかけない、という昔ながらの方法に重きを置く。こだわり方は徹底していて、プレスは手動の垂直式、ポンプも手動式、瓶詰めも樽から直接器具をつけて行う。全て昔の道具を、古道具屋や仲間のワイナリーから譲り受け、再使用する徹底 ぶりだ。「古い道具を使ってみて、あらためて昔の人はワインにやさしい負担のない仕事をしていたことが分かり、おもしろい。・・・でも全て手動は疲れるけどね」と、手動のポンプの使い方をデモンストレーションしてくれた。 まだ、できたてのホヤホヤのワイナリーだが、これからワインがどんどん進化していくポテンシャルは十分あるような予感がする。
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