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カリーム・ヴィオネ
Karim Vionnet カリーム・ヴィオネ
マコンからリヨンへ南下する途中、右手に大小起伏のある山々の連なる光景が一面に広がる。ボジョレーの街ヴィル・フランシュから西へ7kmほど途中急な坂を登りきる手前、標高 250 mほどの位置にカンシエ・アン・ボジョレー村がある。その村をさらに上へ登ったところにカリーム・ヴィオネのドメーヌがある。畑の総面積は2haでAOCはボジョレーヴィラージュ。畑はボジョレーの中では比較的標高が高く傾斜にも恵まれている。さらに南南東に面している分、たいへん日当たりが良く、そのため酸とボリュームとのバランスがとれた素晴らしいボジョレーが出来上がる。気候はコンチネンタルで、夏はたいへん暑く冬はたいへん寒い。東西南北に広がる丘陵地帯によって、冷たい風や多量の雨からブドウ畑が守られている。
現オーナーのカリーム・ヴィオネのドメーヌは、2006年設立とまだ若いワイナリーだ。とは言っても、彼がワインの世界に入ったのはもう長く、1990 年、ジャンポールテヴネの兄のドメーヌで働き始めてからすでに25年近くの歳月が経っている。その間、畑の仕事から醸造まで全てを学んだカリームは、ビオロ ジックに対する情熱を捨てきれず、方向性の違いから、2000年にジャンポールテヴネの兄のドメーヌを去ることになる。あらためてビオロジックに専念しようと決めたカリームは、ボジョレーの醸造学校に通いつつ、マルセルラピエールやジャンポールテヴネ、ギィブルトンという自然派ワインきっての大御所たちの助っ人となり右腕となり、体でヴァンナチュールをマスターしていく。現在は、人材派遣というかたちで(彼が自ら起ち上げた労働サービス会社)ギイブルトンのドメーヌの畑から醸造まで全て任されている。同時に、2006 年、新しく購入した2haの自社畑で彼の新たなる挑戦が始っている。(現在は3.5ha所有)
現在、カリーム・ヴィオネは3.5haの自社畑を管理しながら、ギイブルトンの畑、繁忙期にはジャンポールテヴネの畑と休みなく精力的に働いている。彼の所有するブドウの品種は、ガメイのみで、樹齢は平均 50 年以上のセレクション・マサール。畑は100%ビオロジックで、散布剤は硫黄とボルドー液散布のみの使用。今回、彼のつくるボジョレーヌーボーは、ギイブルトンで仕込む方法と基本的には同じスタイルをとる予定で、違いはテロワールで表現するつもりだ。彼の疲れを知らない直向でまじめな仕事ぶりはモルゴン村では定評があり、ギィブルトンはもちろん、ジャンポールテヴネやマルセルラピエールからも絶大な信頼を得ている。
今年に入り3年連続不作により資金難となり、個人民事再生を申請し、何とか試練を乗り越えているカリーム。「作業中正直何度も心が折れそうになった」と語る彼だが、唯一の支えとなったのは、彼のワインを心待ちにするファンたちだった。彼曰く「最初、個人民事再生を申請した時は、『ヴィニョロンを辞めて昔のようにパン職人に戻ろうかな』なんて考えたりもした。だが、皮肉なことに民事再生後は、好景気がおとずれたように新しいオーダーがどんどん入ってくるようになった。さらにブラジルの個人のクライアントができたワインと引き換えに無利子で融資してくれたりと、まだまだ自分はヴィニョロンとして必要とされている実感がわいてきた!」と。
だが、そんな矢先の9月に最愛の父が他界した。「この時は、さすがに人生どうでも良いという投げやりな気持ちになった…」と語るカリーム。収穫の直前だというのに、まるで魂が抜けたように三日三晩ボーっとし続けたそうだ。だが、そんな時に届いた一枚のオーダーが、彼を奮い立たせるきっかけとなったようだ…。
そう、そのオーダーとは日本から届いたボジョレー・ヌーヴォーのオーダーである!「自分がドメーヌを立ち上げるきっかけを作ってくれたのは日本。遠くで待っている日本のワインファンたちのために頑張らなくては!」と、その瞬間からもやもや感が一気に吹っ飛び、無我夢中で収穫と仕込みに取り組んだようだ。ドメーヌ立ち上げのきっかけと、今回の件と 2 回日本に助けられた!」と日本のファンに感謝の意を表すカリーム。いつか必ずファンへの恩返しのために来日したいと熱く語ってくれた。(2015.9.11.ドメーヌ突撃訪問より)