Tony Bornard トニー・ボールナール
トニーは代々ワイナリー家系のボールナール家に生まれ育ち、若いころから父フィリップの畑仕事などの手伝いをする機会が多く、そのうちに将来自分でワインを造ってみたいと決心するようになったそうです。
トニーは自分で購入した畑とフィリップから譲り受けた畑、合計2.5haを所有。 ブドウはシャルドネ、サヴァニャン、プルサール、ピノノワールの4種。(2013年サヴァニャンのリリースはございません)醸造はフィリップのカーヴを共有して行っていますが、フィリップとはまったく異なる個性のワインを造っています。フィリップは骨太でどちらかというと昔ながらのワインを造るのに対し、トニーのワインはみずみずしくてエレガント。フィリップが「剛」なら、トニーは「柔」といったイメージです。しかしトニーのワイン、ファーストリリースとは思えない安定感のある美味しさがあり、彼の潜在的なセンスを感じます。
フィリップ・ボールナール Jr のトニーのワインがついに日本上陸〜!トニーのワインは、ラベルが何ともポップでファンキーだが、これをデザインしたのは妹のシャロレーヌ!ラベルの表裏にある白黒の子ギツネがトニーのトレードマークだそうだ。
今回、トニーに「フィリップを父に持つプレッシャーはないか?」聞いてみたところ、彼は至って普通に、「全くプレッシャーはない」と答えた。むしろ、やれ「エチケットのデザインは何だ!?」とか「なぜいきなりVdFなんだ?アペラシオンを最初から拒否するとは、ジュラのワインに誇りがないのか?」など、ボールナール家の跡取りということで、まわりのヴィニョロンからうるさくはやし立てられているようだ。
一方、フィリップにトニーのデビューについて聞いてみると、「あいつはまだ何も分かっていないし、まだまだ青二才だ!」と父親らしい厳しい答えが返ってきた。でも、その割には今年トニーにピノの区画の一部を譲ったり、そもそもトニーのワインを最初にヴァンクゥールに奨めたのもフィリップ!今回トニーのインタビューを行った時に、一番落ち着かなかったのもフィリップ!!(笑)息子の前では厳しいことを言う彼も、やっぱり本当は息子が心配で応援したくて仕方ないのだろう。
訪問の最後、フィリップに「ヨシ!心配するな!トニーは一人ではなく、ちゃんと後ろに俺がついているから大丈夫だ!」と伝えられ、その言葉からフィリップの親心とトニーを立派なヴィニョロンに育て上げるという決意を感じ取り、ドメーヌを後にした。フィリップだけでも話題に事欠かないのに、更にトニーも加わって、今後ボールナール家のネタに困ることはないだろう(笑)これからますます目が離せなくなった!
「ひとつお前に試飲させたい、とっておきのワインがある!」そう言われたのは、2014 年の春にフィリップ・ボールナールを訪問した時のことだった。樽から直接の試飲で、品種はシャルドネとピノノワールだったのだが、良く作られたブルゴーニュワインのような透明感のある何とも言えない上品な味わいだった!そう、彼から勧められた、とっておきのワインとは、息子トニーが初めて仕込んだワインだったのだ!トニーがワインをつくるという話はフィリップから何となく聞いてはいたが、まさかもうすでに仕込んでいたとは全く知らなかった。しかもフィリップとは違うワインのテイストがあり、その場で激しく興味を抱いた。
トニーは、ピュピラン村で代々続くヴィニョロンの家系のボールナール家の長男で、若いころから父フィリップの畑仕事などの手伝いをする機会が多く、そのうちに将来自分でワインをつくりたいと思うようになったそうだ。フランスのワイン学校卒業後、オーストラリア、アメリカでワインを学び、帰国後はジュラに戻りそのまま順調にボールナール家の跡を継ぐように思えたのだが、何とトニーは早々にドメーヌを飛び出してしまう。当時フィリップが「トニーのために、思い切ってワイン農協をやめて新しくドメーヌを立ち上げたのに、息子が出て行ってしまった…」と嘆いていたことを今でも良く覚えている。あの時の心境をトニーに尋ねてみると、彼は「あの当時はまだ24歳で、30歳までにヴィニョロンになると決めていた自分にとってはまだ継ぐのは若すぎたし、また、昔から父のつくっていたワインは今でこそヴァンナチュールとして認知されているが、当時のジュラは今ほどヴァンナチュールが認知されていなかった。父には当時の自分の行動が理解できなかったと思うが、自分がアメリカから帰ってきてすぐにワインのコマーシャルの仕事に就いたのは、父のドメーヌを継ぐにしろ独立するにしろ、将来的なワインの販売網を予め確保しておきたいという自分なりの考えがあった」と語ってくれた。
今でこそボールナールのワインは有名だが、確かにトニーの言う通り、当時は誰も知らないワインだったし、ましてやジュラのワインはまだまだ無名だった。事の真相を知り、私は長年トニーを少し誤解していたことに気がついた。トニーに「フィリップのワインとの違いは何か?」とに尋ねてみると、彼はすぐに「個性」と答えてくれた。「もちろん、テロワールの違いもあるが、ブドウ栽培と醸造に関して父と僕の哲学は同じだし、父のやり方を今でも敬っている。それでもキャラクターの違いが出てくるのは、やはり作り手の個性の違いがワインに反映されているのだと思う。もし、何度つくっても父と同じワインしかできないとするならば、自分が独立する意味がない。ワインづくりについて、父は経験もあるし自分はまだまだ赤子のようだが、でも、自分のワインには父にはない個性がある!」と彼は言う。確かに、フィリップと比べてトニーは、性格的に物腰が柔らかく繊細で、気遣いに長けている。彼のワインを飲んでみると分かるが、どれも繊細でやさしく、彼のキャラクターがそのまま反映されている!
現在は、まだまだ細かいところで試行錯誤を繰り返すトニーだが、夢は父親を超えるヴァンヴィヴァンをつくることだそうだ!トニー曰く、目指すワインはスバリ「変化のあるワイン!その日の天気や、その日のコンディションによって人の気持ちが変化するように、生きているワインは常に動いている。父親のつくってきたワインもそういうワインだ。自分はそこをさらに洗練させて、イメージは常に明るい、いつ開けてもエネルギーを感じる、人に元気を与えるワインをつくりたいと思う!」と締めくくった。いよいよ始まったトニーの挑戦を、これから生まれるボールナール家の新たなストーリーを、ワクワクしながら皆さんにお届けしていきたい。
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フランス東部、ジュラ地方のアルボワの街を南に2kmほど下ると、標高400 m以上の高原に囲まれた小さな村ピュピランがある。そのピュピラン村の高台にフィリップ・ボールナールのドメーヌがあり、現在トニーは父親のフィリップとカーヴを共有している。畑の総面積は2.5ha、南から南西の丘の斜面に点在する。寒冬暑夏の大陸性気候だが、高地に連なる土地は高山気候の要素が強く、春と秋が短い。ジュラ高原最大の支脈を背にして森林地帯が広がり、深い谷が南東に向いているため、ブドウ畑は厳しい冬の寒さと夏季の乾燥に耐えることができる。
オーナーであるトニー・ボールナールは、ジュラのスター生産者フィリップ・ボールナールを親に持つ代々ヴィニョロンの家系で育った。幼い頃から父親のように自らのワインをつくってみたいと思っていた彼は、1998 年高校を卒業後、Lycee Viticole de Beaune(ボーヌ醸造学校)でワイン全般を学び、2002 年にはマコンのワイン学校(BTS)で 1 年間栽培醸造、そしてもう 1 年はパリで経営を学ぶ。2004 年 1 月、BTS 卒業後、語学の勉強も兼ねて、ナチュールとは対極的な栽培方法・醸造テクニックを経験するために、半年間オーストラリアの大手ワイナリーで研修し、その後すぐにアメリカに渡り、ナパのブティックワイナリーで半年間研修をする。
2005年3月アメリカから帰って来た彼は、父親のフィリップが後継ぎのために用意をしていたドメーヌのポストを断り、自らワイナリー立上げの資金を貯めるために別の道を歩む。そして、2005年4月からジュラ・ボワソンという酒類販売会社の営業として働く。だが、仕事は2年と続かなかった。2007年に会社を退職してから4年間は、ボジョレー、サンジョセフ、リヨン、 サンテ=ティエンヌのワインショップを転々とするが、なかなかうまく資金を貯めることができなかった。30歳までにワイナリーを立ち上げるという夢が叶わなかった彼は、もう一度ゼロからチャレンジする覚悟で 2011年4月フィリップの元に戻る。父親のドメーヌを手伝いつつ、一方で父親から畑を譲り受けたり、あるいは自ら購入しながら、少しずつドメーヌ立上げの準備を整える。そして、2013年1月、ついにドメーヌをスタートさせる。
現在、トニーは2.5haの畑を1人で管理し、ワインの醸造は父親のフィリップのカーヴを共有している。所有するブドウはピノノワール、プルサール、シャルドネ、サヴァニャンで、樹齢は2015年に植樹したものも含めて平均30年。
幼い頃は大の虫好きだったトニーは、その頃から大自然やエコロジーに興味があり、ブドウ畑をビオで育てるのも、父親からの影響ではなく、ごく自然な流れだった。彼のつくるワインは、スタイルこそ父親譲りだが、抽出が優しく、どれも上品で華奢な美しさとフィネスを兼ね備えている。彼のモットーは「環境と体にやさしいワイン」で、将来的には畑にビオディナミを少しずつ取り入れたいと考えている。(輸入元資料より)