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ウイリアム・ダウニー
William Downie ウイリアム・ダウニー
オーストラリア/ヴィクトリア州/ヤラ・ヴァレー
ウィリアム・ダウニーはブルゴーニュでの数年の生活のあと、2003年に自身のブランドを立ち上げました。純粋で細やかなピノ・ノワールを作るのが彼の目的です。最も自然で、押し付けたり、無理強いを決してしないワイン造りを行っています。何も足したり引いたりしていません。やがてダウニーは、この気まぐれな葡萄品種の世界でも有名で優良な職人の一人となりました。ダウニーのワインはテロワールの個性を表現しています。結局のところ良く似ていると言われていたヤラ・ヴァレー、モーニントン・ペニンシュラ、ギップスランドは全く違うのです。ウィリアムは2006年にはグルメ・トラベラー・ワインマガジン誌にてヤング・オーストラリアン・ワインメーカー・オブ・ザ・イヤーに選ばれています。
ビル(Williamの愛称です)がワインに恋をして醸造にのめり込む様になったのは、醸造学を学んだ後に勤務したデ・ボルトリ社でのアシスタント期間。大きな会社でありながらテクノロジーの濫用を毛嫌いするワイナリーで才能を開花させた彼が、家督騒動に揺れたユベール・リニエとオーギュスト・リニエのワイン醸造が任された話は尾鰭を付けて華やかに語れらる様になりました。これは半ば作られたストーリーで、そのオファーが来る数年前に初めてブルゴーニュに渡った彼は、殆ど一文無しの状況で仕事にもありつけず餓死寸前と自覚する程に悲惨な状況にあったそうです。そこで食事を奢ってくれ、更に働き口を紹介してくれたのが今の奥様であるレイチェル。アメリカへナチュラルワインを紹介したインポーターでエージェントを務めていた彼女の口利きで、ジュラ、ボージョレ、ボーヌで錚々たる面々と共に汗を流しながらいつの日か自分が作るワインへのイメージを漠然と抱く様になります。ちなみにレイチェルとの結婚を報告した際にはあのオヴェルノワが「私のガールフレンドがアメリカ大陸から居なくなった」と冗談めいた文句を言ったそうな。貧乏のどん底時代を共有しながら、愛を深めて来たからこそ現在の彼らがあるのです。
ビルは現在、ヴィクトリア州にあるギプスランドで、可能な限りの自給自足で家族4人を養いながらワイン作りを続けていますが、その環境は我々の想像を遥かに超えたものです。年間に食べる牛は1頭。豚は3頭。羊は5頭。鶏は12羽程度(狐や野生の猫に被害を受けた時は悲しいけどゼロ)。全てを放し飼いにして世話を続け、屠殺も自身の手で行います。豚と牛は拳銃で頭を撃ち抜く(暴れたら殺される可能性もある為)そうなのですが「引き金を引く瞬間、彼らは目を閉じるんだよ」「彼らは命を捧げる事が解ってる」と命を頂く大切さを語る彼のトーナリティはワイン作りを語る時のそれと全く同じものでした。血の一滴まで無駄にしない為、ブーダン ノワールも作りますし、ハラコは家の床に敷かれています。畑の作業を共に行うパートナーである馬だけは「食」の対象外ですが(笑)。(輸入元案内より抜粋)